顕嵐担から見たLove-tuneに思うこと
まず私は阿部顕嵐担当です。その時に感じた思いを残しておきたい。記憶違いもあるかもしれません。
私が初めてLove-tuneを知ったのはLove-tuneができた時、つまり4人がメンバーになった時だった。安井くん萩谷くん真田くん森田くん。最初はグループ名が無かったからLove-tuneと出た時にやっとグループできたねおめでとうという気持ちだった。
そして、クリエが始まった。途中から出演した、顕嵐、長妻くん、諸星くん。とても嬉しかったことを覚えている。その時はまだ、トラジャからいなくなるなんて思ってもみなかったから。でも、この時はまだLove-tuneに入ったというわけでは無かったように感じる。ある雑誌に7人で出てたから来たのかなくらいの気持ちだった気がする。
萩谷担にその時まだ4人を楽しませてと言われたことを覚えている。
そして、クリエはトラジャ単独もあり無事に終わった。
ここら辺で少クラにトラジャが出れるようになったのかな?愛を叫べとても好きだった。
次に来たのはEXシアターでのサマステ。ここでもLove-tuneのところに顕嵐の名前は無かった。だから、私は応募もしなかった。今思えばいるだろうと言われていたので応募くらいしとけばよかったなーと後悔している。トラジャにいることがそろそろ危うくなって来たのがこのころな気がする。間違いなくトラジャよりもLove-tuneの方がこの頃は輝いていた。確実に正解な方向へ顕嵐は選択したと思った。仲間を捨てて。。でもそれが顕嵐のやり方だと知っていたから、自分さえ勝てばいいと思っていると知っていたから。顕嵐かっこいいと思っていた。
そして、明確な時期は分からないが、顕嵐はトラジャから抜けてLove-tune一本になる。大学に行っている顕嵐にとってこの時期は、本当に大丈夫と不安になる忙しさだと感じていた。その後も美勇人が続けていたが、あの仕事量は本当に危険だと思ってしまう。
ドリボ に出演。むちゅ恋は私の一番好きなLove-tuneで歌う歌です。
この時もずーっと美勇人はトラジャと一緒に頑張っていた。最後の一人になってもトラジャでいる。その言葉カッコいいと思っていたが、結果的には。根拠のないことを言うほど恐ろしいことはないと感じた。美勇人からファンに向けて、安心させたい一心で言った言葉だと思うが。。
そして、雑誌でも顕嵐が抜けたことを宮近くんが話すこともあった。優しく受け入れてくれる宮近くんに今までの恩を感じつつありがとうと思った。そして、あらちかは私が見れない存在になった。大切な思い出は一緒なグループにいたからなんて思うこともある。また、宮近くんに対して少しだけ申し訳ないという勝手な気持ちもある。本当にいつも顕嵐を助けてくれてありがとう。なのに、その後らぶとらというくくりで雑誌に出ることが多くあった。本当にやめてほしかった。なにをしたかったのか分からない。悲しい気持ちになった。
そして顕嵐がトラジャにいなくなったと感じたのはジャニアイかな。オレンジの服着てたなーくらいしか覚えてないけど顕嵐はLove-tuneだった。
祭があった。らぶとら一緒にする意味がわからなかった。でもかっこよかった。少しらぶが好きになった時期だった。
そして春ごろ顕嵐の一つ目の舞台魔女の宅急便が決まった。心の底から嬉しくて嬉しくてたまらなかった。顕嵐がトンボ今でも愛しさが溢れてくる。本当に頑張っていたなって思う。この時にらぶだけにしてよかったんじゃないかと思ったこともある。
少クラでもさまざまな歌を披露して人気が高まっていったと思う。CALL、烈火、This is Love song、superman、オリジナル曲は全て素晴らしかった。
夏はEX。美勇人の大変な時期が始まり、少しずつトラジャじゃなくなることを感じる時期。最終日の異様感。。しんどいですね。美勇人はきっと辞めたくなかっただろうな。と思っている。
Love-tuneはとても人気になっていた。もしかしたらデビューと勝手に思ったこともあった。それは自担がいればそう思ってしまう勘違いだったのかもしれない。盲目になっていたのかもしれない。
そして発表されたLove-tune単独ライブ。信じられなかった。胸が押しつぶされる感覚。ゼミ室で叫んだこと忘れられない。
全て平日という日程の中、最終日が文化祭と被っているという喜びで泣いていた。
普通に当たると思い込んでいた単独ライブ。実際はすごい倍率だった。当落メールが来ても開けられなくて、5時間くらいドキドキしていた。
そして当たった、オーラスのチケット。
嬉しさしかなかった。
でも、私は単独ライブに行かなかった。
どんどん跳ね上がって行くチケットの転売額を見て、私はこのグループを応援できないと思った。
それは誰が悪いわけでもなく、私の価値観がそうだったからである。気持ち悪いと思ってしまった。
大好きな顕嵐を定価で見られるのに。そのころから、Love-tuneへの気持ちが離れていった。
人気メンバーはたしかにいると思う。でも、らぶがこんなに人気になることについていけなかった。
そして、顕嵐だけを見たいと強く思うようになった。
顕嵐だけでいい。他のメンバーはいいと。
トラジャにいた時には思ったことがない感覚だった。
そして、何者の舞台に何度か足を運んだ。何者は顕嵐が主演。ずーっと大好きな顕嵐だけを見ていられる。幸せだった。
何者があったから、単独を辞めたのかもしれないとも思う。
かっこよかったな。。
私がLove-tuneに会いに行かなくなった理由で、らぶ担はらぶというグループが好きということがある。私は他のメンバーに関して何の気持ちもなかった。それは、トラジャの関係性が好きだったから。
何かあるたびにらぶが好きみたいに言われた。らぶが好きって何?って思うこともある。私は自担さえ幸せになればどうでもいいと思ってしまう。
今でもらぶが戻ってくると信じている人は多くいる。でもらぶで戻ってくることって必ずしも必要なことなのか、わたしには分からない。自担が幸せであればよいと思う。私の考えだけど。
そして、2017年らぶの人気は続いたまま終わりを迎えた。
2018年はハピアイから始まった。
楽しかった。2幕の仮面舞踏会。かっこよかった。
私が舞台に入った日たくさんのカメラが朝から来ていた。何なんだろうと不思議に思っていた。その謎は次の日にとけた。
キンプリ がデビューした。
おめでたいと思った。そして、いつもの気持ちでJr.として見れる最後の日に見られたこと幸せだと思った。
そしてつぎの日から顕嵐は休演する。約一週間。いろんなこと言われているが、最初の日はもしかしたら落ち込んでいるのかなんて思ったりもした。本当のことなんて分からないけど。
そして、ハピアイは終わる。次はJr.祭り。忙しいななんて思ってた。
でも、少しずつ怪しい空気があることを感じていた。それは現実になった。
萩ちゃんが辞めるかもとハピアイの前ころから言われ出した。大学4年になる萩ちゃん。もしかしたらもう見られないのかななんて、思ってしまう日もある。
何が原因かは分からない。内部のことを私は知らない。
案の定、Jr.祭りもすごい金額。私は友達のお陰で入ることができた。
入ったときから私は周りとの違いを感じていた。みんなLove-tuneが好きだった。
私はロボットの声が聞こえてきたときかなり冷めていた。
私の隣にいた人は泣いて喜んでいた。スタンドの最後列なのに。少し前に座っている泣いている学生さんをみて、どうしてこんなに好きな子が前で見られないのといういらない心配もしていた。
私はLove-tuneのライブを遠くから見ていた。距離的にも気持ち的にも。冷静だった。
こんな風になったんだなと思った。あんなに興奮していたのに、今までの時間なんだろうと思った時もあった。
そして、ONE LOVEと顕嵐担の多さに悲しくなった日でもあった。
どちらも忘れられない思い出になった。悪い意味で。
今思えばこれが最後の瞬間だったのかな。
もっと大切にすればよかったと思う。
私はもう戻ってくることはないと思っている。それがジャニーズだし何度も経験してきたから。
でも、顕嵐は空飛ぶタイヤのインタビューでらぶを大きなグループにしたいというようなことを言っていた。私の知っている顕嵐じゃなかった。ならトラジャを大きくしてよ。。
顕嵐世界一輝いてね。あなたは世界一かっこいいよ。自信を持って歩んでいってください。と伝えたい。
顕嵐いろんな気持ち教えてくれてありがとう。